VillEdge代表 大谷が「丹波篠山キャンプ場 やまもりサーキット」のオープンに向けて動きはじめた2018年には、すでに「ほかの農家さんが誰も育てないようなめずらしい野菜ばかりを草山地域でつくっている人」とウワサになっていた橋本豊彦さん。あらためて聞くと、当時はもともとの映像制作の仕事のかたわら農業に足を踏み入れて、まだ2年目だったそう。橋本さん、丹波篠山で「半農半X」をしていくのって実際どうですか?
橋本豊彦さん
丹波篠山市草山地区生まれ。高校卒業を機に地元を飛び出して映像制作をなりわいにし、大阪や東南アジアなどを経て2015年にUターン。フリーランスで仕事を請けながら、代々受け継がれてきた実家の田畑と栗園で見よう見まねで農業を始める。今では農家・猟師・映像制作の”三足のわらじ”を履き、近隣の田畑の管理を任されることも。収入の割合は、「2023年は農業が多かったけど、その前の2022年は農業以外の方が多かった」そう。
いくらでも考え続けられるんですよね。「どこに何をいつ植えるか」とか「雨が降ったらこれをしよう」とか。
7~8年前に草山にUターンしてきた頃は、自分の家の田んぼがどれかもわからないくらい、農業とは疎遠でした。小学生のときは親に付いて田んぼや畑に行くこともありましたが、中学・高校時代に農作業を手伝った記憶はなくて。手伝いなさい、と言われることもありませんでしたし。だから、農家1年目の出来は散々でしたね。与える肥料が少なすぎて、近所の人たちに心配されるくらい育ちませんでした。それでも一応、生まれてから高校卒業で家を出るまでの18年間見てきたものがあるから、そのときどきに何をしたらいいのか思い出しつつ、あとはやりながら覚えていった感じです。
野菜に関しては、農家になる前から、母が亡くなって手つかずになった畑が荒れないように、家庭菜園めいたことをしていたんです。その経験もあって、当初から年間100~200品種つくっていました。まわりの農家さんが手を出さないような野菜も一度はつくってみて、これは育てやすい、これはおいしい、これは周りの人にウケがいい……そんなふうに取捨選択していって。そういえば、ゴマもつくったことがあります。国産のゴマは希少価値があって、育てやすさもポイントが高かったのですが、いかんせん選別が大変で、時間的な労力が見合わなくてやめてしまいました。
野菜って、同じ時期に種をまいても収穫時期がバラバラだったり、同じ場所に同じものを連続で植えると極端に育ちが悪くなったりするので、「どこに何をいつ植えるか」をパズルのように組んでいく必要があります。僕は、まったく嫌いじゃないんですよ、100品種分の段取りやアイデアを「考える」という行為が。むしろ好き。スクールバスに毎日朝夕30分ずつ揺られていた中学時代から、「あれとあれを組み合わせるといいかも!」とか「雨が降ったらこれをしよう」とかを、延々と頭の中を巡らせていられるタチです。狩猟の仕事もしているのですが、山の中で2~3時間、じっと動物が現れるのを待つことがあります。その間もずっと考えごとをしていますね。
結局は、地域との関係性なんだろうな。
考えるのは農業のことに限らず、人との会話のなかで生まれてきたアイデアを膨らませることも多いです。「この人とこの人をつなげたら、おもしろいことが起こるんちゃうかな」とか。この地域は外からいろんなスキルをもった人が集まってくるから、よけいに。
農業は好きだけども、「農業だけ」の専業になるのは避けたいと思っています。日常的に接する人が狭まってくるし、新しい出会いとも縁遠くなるし。そんなの、つまらない。だからなのかな、仕事以外に自治会や市の農業委員会、空き家対策委員なんかもしています。
いわゆる「町おこし」の文脈で、農地がない、空き家がない、といった声を聞くことがあります。それには二つの背景があると思っていて、ひとつは、このあたりも農地が多いわけではないので、1~2人来てくれるのはすごくうれしくても、20人だと受け入れきれない。もうひとつは、やっぱり地元との信頼関係。田んぼも畑も栗園も、周りからよく見えます。草がぼうぼうになっていたりすると、近所の人は「あぁ…」って思うんですよ。貸す方も、自分で手入れができずに見苦しい様子になっていることに引け目を感じて管理を任せるので。
そこの安心感をもってもらえて信頼を得られたら、農家を営むフィールドとして丹波篠山はめちゃくちゃいいと思います。丹波栗・黒枝豆といった全国的なブランド品もある。栗に関しては収穫が重労働なのに高齢化が進んでいるし、県がしてくれる研修で先輩栗農家の方々とつながりやすい環境があります。